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  • まぁさん

58歳になりました

本日(3/25)、おかげさまで58歳になりました。

既に沢山のお祝いメッセージをいただき、ありがとうございます。


毎度思うことですが、好きに生きてきて、よくぞ今まで食えてきたな、よくぞ生きてこられたなと、不思議な気分です。


最近、人と話す時に、ある体験がいったい何年前のことだったのか分からなくなることが増えました。だいたい2〜3年前のことくらいまでは頭の中にカレンダーがあるのですが、4年前より昔のことが、どうもぶれています。


例えば、「理恵が交通事故に遭ったのは何年だった?」「視力回復合宿を始めたのは何年だった?」「大辛ファイヤー!を作り始めたのはいつ頃だったっけ?」という具合です。


そこで、過去の手帳やブログ、撮りためた画像を遡りつつ、自分の「人生早見表」なるものを作り始めました。


これが結構面白いです。自分の人生と、その時々の世相なども合わせて眺めると、新鮮な驚きがあります。「インベーダーゲームやウォークマンが流行ったのは1979年。私が18歳で、大学に入学した年か〜!」という具合です。


中には、改めて思い出すと小っ恥ずかしくなるような出来事や、申し訳なく感じる出来事にも遭遇します。また、今お付き合いしている人々よりも、出会わなくなった人々の方が圧倒的に多いです。


そんなことに気づくと、「私は随分と薄情な人間だな」と感じるところが多々あります。でも一方で、「では一度ご縁があった人たち全てと、ずっと会い続けるとなると、きっと体が持たないだろうな」と感じる自分もいます。


★★★

ところで、「評価と比較」に、多くの人々が振り回されているように感じます。


オギャーと生まれて以来、「○○○gの元気な赤ちゃんです。良かったですね〜」から始まり、「発達しているかどうか」「成績は?」「どの学校?」「どの会社?」・・・きりがありません。


そして気がつけば自分自身も周りを評価しています。「あの人はあんなこんなで」・・・特に最近は誰もが評論家時代。顔の出ないネット上で、なんでも評価しまくりです。


そしてまた、同時に周りと自分を比較し続けます。「周りは私のことをどのように見ているのだろう」「周りに比べて私は、こんなこともできていない」・・・きりがありませんね。


私もかつては「自分がどう見られているか?」ということにとても過敏でした。「認めてもらいたい」という思いが募った結果、自己顕示欲がとても強かったです。我が半生を振り返るに、そのような時代がほとんどだったと言えます。


それが最近は、そんなことを感じることがめっきり減りました。ゼロになったとは言い切れませんが、周りや自分を評価するという物差しが随分と無くなってきたように感じます。私を生きるのは私です。


そんなタイミングで迎えた58歳。「もう、いいや(五十八)」であります。


投げやりな意味合いではなく、「どう見られても気にしない」「どう転んでも構わない」「良し悪しはない」「在るがまま」という心境での「これでいいや」なのです。


少し前に書いた「自在の境地」と同じ心境です。


またよく似た心境の出来事として、以前、あるウーファーと交わしたやりとりがあります。


ウーファー「まぁさんの夢は何?」

私「夢か。夢は無いな」

ウーファー「えっ!夢が無いの?」

私「そう、無いね。既に夢は叶っているから」


ああなりたい、あれがほしい、ではなく、ただ今、この瞬間を生かされていることに感謝している。そういう意味合いで答えました。これも「いいや」につながります。


★★★

そのような心境でおりますと、不思議といろいろ変化が起きてきます。


まず、私自身の体が絞られて軽くなり、サクサクと動けるようになりました。


そして、「あれをせねば」という気持ちを、ほとんど持たなくなりました。例えば、日々のことを発信するのも、「その気になって、時間があればやる」という具合です。


多くを求めていないのに、気がつけばいろいろな物事が進み、手元に在るようになりました。


例えば、先日、父が倒れましたが、入院して事なきをえました。


このことがきっかけで、父の退院後の暮らしについて当人との話が一気に進み、現在、父は老健(介護老人保健施設)での暮らしを始めています。


そのおかげで、常に誰かが父を見守ってくださるようになりました。独居の父の様子をいつも気遣っていましたが、その心配が無くなりました。父も快適な様子です。


そして老健を退所した後の暮らしについても、父と会話できるようになりました。その結果、両親が暮らしてきた恵那のマンションが、事実上、私のものになりました。


恵那の高台に建つマンションの最上階の角部屋。一年中通して、日の出から


日の入りまで見られる、素晴らしい立地です。図らずもその場が私のスペースに加わりました。


山里の築150年以上の古民家で田舎暮らしをしつつ、別の日には高台のマンションで夕陽を眺めて過ごすという、新たな暮らしのステージが用意されてきました。


一方、田舎暮らしの方では、物事が着々と進んでいます。


ファイヤー工房が完成し、ソース類製造業の許可も得ました。



『大辛ファイヤー!』で商標登録され、本格的に製造販売していく仕組みが整いつつあります。


大辛唐辛子を育てる畑は、既にマルチ張りまで完了しています。



あとは苗が育つのを待つばかり。



母屋の前の畑は全面的に作り直すことにして、積層マルチ式の農業をするための木枠ベッド作りも着々です。



子供達はすくすくと育ち、それぞれに得意分野もできてきました。


理恵は相変わらず大活躍してくれていて、おかげで今の【もりのいえ】の生活スタイルが確立されつつあります。


そういえば、理恵と私が初めて出会ったのは、今からちょうど20年前のことでした。当時、私は38歳、理恵は25歳でした。あれから20年。実に様々なことがありましたが、こんな私といてくれて、ありがとうね。


これは新婚旅行を兼ねて、オーストラリアを旅した時の画像です。


今日は北海道で暮らす従姉妹が父に会いに来てくれました。私たち家族も一緒に恵那峡のホテルに泊まり、親交を深めています。父がこのように外出できることも、もう無いかもしれないので、とても良い機会となりました。



こうして迎えた私の誕生日。過去を思い返すに、そして今を思うに、本当に有難い暮らしをさせていただいています。私は幸せ者です。


これからも、どうぞよろしくお願いします。

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