ついにこの日がやってきました〜!
ファイヤー!を作るための専門の工房(小さな工場)が完成しました!
母屋の裏の蔵を改造し、昨日、保健所の立ち入り検査を受けました。正式認可は後日になりますが、設備上は問題ないとのことで、この工房で「ソース類製造業」として認可されることになりました。
これまでにファイヤー工房に関して出資してくださった皆さま、ありがとうございました〜!
また、「大辛ファイヤー!」で、商標登録も取得しました〜!これからはこの名称に換えていきます。
以下、【もりのいえ】の歴史も交えて、これまでの経緯をご説明します。
できるだけかいつまんで書きますが、ファイヤー!を語る時、その背景も知ってもらいたくて、つい長文になりました。ご容赦ください。
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私たちは2004年の元旦に入籍し、3ヶ月のハネムーンで、オーストラリアとニュージーランドに旅しました。その際、ウーファーとして、様々な家庭で滞在させていただきました。
それらの体験を共にする中で、私たちの将来ビジョンを話し合い、まとめました。そのタイトルを【もりのいえ】と名付けました。
このビジョンを形にできる場所を求めるうちに、現在の地・加子母(かしも)に巡り会い、2005年5月に移住しました。
移住した当初は、理恵は家にいて、私は大阪に勤めに出るというスタイルで稼ぎつつ、【もりのいえ】の整備を進めていました。築150年ほどの古民家は相当痛んでいましたので、それなりに住めるようになるまでに3年ほどかかりました。
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移住した2005年の秋にU太が誕生。その3年後にKAN太が誕生しました。
KAN太が理恵のお腹にやってきた頃、「もう外には出ないで家にいてほしい」と理恵が私に求めました。そこで、「これからは【もりのいえ】で生きていく」と決心し、外での稼ぎを辞めました。
KAN太が誕生してからの暮らしは大変でした。2009年春にネットショップを開いても注文は来ず。夏に宿屋の営業許可を得たものの、初めての宿泊客が来られたのは1ヶ月以上も先のことでした。
当然ながら生活はとても厳しいものになりました。スーパーで買うのは、もやしとえのきだけくらい。家の周りの野草を採っては、よく食べました。
それでも大勢のウーファー達はやってきます。彼らはよくご飯を食べました。「またお米がなくなったのですけれど・・・」「お金はなんとかするから買ったらいいよ」という会話を何度したことか。
日々の暮らしは変化があって刺激的で、ワクワクの連続でした。ただお金が無い!最低限の生活費を工面するだけで四苦八苦でした。顔で笑って、胃はキリキリという日が続きました。
この当時、「死ねば楽なんだろうな」と何度となく思ったものです。まさか私がそんなことを考えるなんてと、自分で驚いていました。でも本当に、「私が交通事故で死んで、保険金が出れば、家族は暮らしていけるだろうに」と考えていたのです。
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そんな時期に転機が訪れました。理恵の友人のカリスマブロガー・みほさんの応援と、のちに私の整体の先生となったけんちゃんとの出会いです。
2009年の秋、理恵は起死回生の策として、お菓子セットの販売を始めました。ところが悲しいかな、知名度がないためか、なかなか注文がこない。
そんな中、みほさんがご自身のブログで理恵のお菓子セットを紹介してくださったのです。
すると驚くことに、その直後から注文が殺到しました。おかげで現金収入が増え、滞っていた支払いをすることができました。
全ての支払いを済ませた後、その年の大晦日の預金通帳の残高は、わずか170円。それでも、「借金をしないで年を越せる!」と喜んだものです。
けんちゃんとは2009年の秋に、吉村医院でのバザーで初めて出会いました。会った瞬間に感じるものがあり、「では、(視力回復合宿を)いつやる?」「来年春に!」というのが、二人の最初の会話でした。
そのけんちゃんがその年の12/25に【もりのいえ】に来てくれました。そして「まぁさんにはあらかじめ視力回復メソッドを少し伝えておきます。それを実践しながら告知をしてください」とのことでした。
当時、右目0.03、左目0.05だった私。それがけんちゃんのメソッドを実践するうちにどんどん視力が回復していきました。その経緯をブログでも紹介しつつ、視力回復合宿の告知をし続けました。
そして2010年3月20〜22日、【もりのいえ】にて初の視力回復合宿が始まりました。
どん底を抜けたばかりの私たちにとり、大勢の参加者が集う場は夢のように映りました。
以降、視力回復合宿は【もりのいえ】の看板イベントとなり、毎回大勢の方が集う場となりました。それは同時に、お菓子セットの販売と同じく、「お金を回す」仕組みに加わった時でもありました。
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そんな中、私は地元の唐辛子の存在を知り、自分自身の好みを満たすためにソースを作るようになりました。
そして2010年の夏、それらをけんちゃんたちに振舞ったところ、けんちゃんが言いました。「まぁさん!これ、絶対に売れるよ!」
この手の「これって売れるよ!」というような会話は、おせじだと聞き流してもよいようなことかもしれません。大阪でならば、ちょっと面白いヤツに、「お前、吉本に行ったらええねん!」と声かけするようなものです。
でも当時の私は、このけんちゃんの言葉がすんなりと入ってきました。「なるほど、商品化するというのも面白いな」
そんな軽いノリといいますか、直感に従って、そしてレシピも直感に従って、大辛ソースづくりを試行錯誤することが続きました。これは「いろいろ試してみたい」「初めてのことが大好き」という私の性格もありますが、「これが生活の糧の足しになれば」と必死だったことも原動力の一つです。
やがて、初めての商品が生まれました。その時に「ファイアー」と名付けたことから、ファイヤー!物語が始まりました。
2010年9月28日のブログにご紹介していますので、この日をもって、「ファイヤー!始まりの日」とすることにします。
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http://maasan.blog19.fc2.com/blog-entry-1961.html
この時にできたのが、小瓶でわずかに15本!これがファイヤー!デビューです。
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こうして、どん底の2009年を過ぎた2010年、視力回復合宿とファイヤー!の二つの柱が、【もりのいえ】で始まったのでした。
少しずつ、本当に少しずつ、暮らしが改善されていきました。
ちなみに2010年の大晦日の預金残高が3万円ちょっと。それでも「二桁上がった!」と大喜びしたのを覚えています。そしてその後も辛い時もありましたが、「あの時に比べれば、なんのその!」と腹もすわってきました。
その後、「ファイヤー!」と名を替えてラベルも作り、少しずつ作る分量も増やしていきました。
同時に、視力回復合宿に味をしめた私たちは、「イベント宿屋」としての道を歩み始めました。様々なイベントを企画しては募集し、大勢の参加者が集ってもらうことで、同時に宿泊客も増えるという仕組みです。
おかげでその目論見は成功!春から秋まで、ほぼ毎週末、大勢の方が集ってくれる場に育ちました。毎日がお祭りのようでした。お金は変わらず貯まらないけれど、回すことができるようになっていました。
ところが、次第に「このままでいいのだろうか?」と疑問を感じるようになりました。
確かに毎日が刺激的です。でも休む間が無い!一つの企画を行うのに、構想・交渉・企画化・告知募集・対応・準備・運営・報告と、やることが常に伴います。
それを毎週末するとなると、常に頭の中はあれこれ考え続けで、全く休む間がありません。
「このままではいつか倒れるかも」と感じつつも、ペースを変えられない。そんな日々が続いていた時、新たな転機が訪れました。
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2013年7月29日、理恵が交通事故に遭いました。
雨の日に軽トラに乗っていた理恵。対向車がセンターラインをオーバーして、理恵の車に正面衝突したのです。軽トラは大破。ボディが理恵の両足に食い込み、レスキュー隊が救出するのに1時間以上かかりました。
事故で生き残ったことが奇跡。その後もリハビリで復活できたことも奇跡でした。
理恵の事故を契機に、私たちの暮らしは一変しました。まず、全てのイベントを中止しました。また全ての宿泊客にもキャンセルさせていただきました。
そして当面は理恵の見舞いと、子供達に向き合うことに集中しました。それは私たちにとって必要な時間でした。
事故を知った方々からは沢山のお見舞金が届きました。本当に有り難かったです。それでも、それがいつまでも続くことはありません。
「理恵がいつ、どのように復活できるかは分からない。これから先、【もりのいえ】をどのように運営していこうか?私たちはどうやって生きていこうか?」
このように考えているうちに浮かんだのが、「ファイヤー!の本格製造販売」でした。
ファイヤー!ならば、こちらの都合で製造できる。そして日持ちもする!
そこで、大量の原材料を仕入れ、大量のファイヤー!を作ることを始めました。2010〜11年のシーズンに作ったファイヤー!は700本になりました。
そのファイヤー!は、あっという間に無くなりました。私たちへの応援というのもあったのでしょうね。ブログで告知しましたら、どんどん注文がやってきました。
そしてあっと言う間に無くなったのには他にも理由があります。私がどんどん無料で配ったのです。
それは、これまでに支援してくださった方々へのお礼の意味でした。お見舞い返しとしては不十分だけれど、その当時の私たちにできることは、ファイヤー!をお渡しするしかなかったのです。
でもその行為で結果的にファイヤー!のことを知ってもらえる人が増えました。売り込むつもりは毛頭なかったのですが、結果的にプロモーションになったのです。
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その後、ファイヤー!は順調に売れ続けました。変な表現かもしれませんが、まるで麻薬性があるかのような商品の魅力があるのでしょうね。ファイヤー!を購入された方が、「ファイヤー!が切れた〜!」と求めて来られるようになりました。もちろん怪しい素材は入っていませんが。
こうしてファイヤー!は年々ファンが増え続け、「作れば売れる商品」に育ってきました。
そして昨年の2018年、私は新たな決心をしました。「これからはファイヤー!を暮らしの柱の一つにする!」というものでした。
畑の面積を広げ、大辛唐辛子を全て自家生産し、ゆくゆくはニンニクも自家生産する。土を作り、主な原料を自分で育て、それを加工して付加価値を付け、エンドユーザーまで届ける。
川上から川下まで一貫して自分でやり遂げる!こういう機会はなかなか無いことです。その貴重な体験を通して生かさせていただく。その決心をしたのです。
その決心の先に、「専用の工場を作る」というビジョンがありました。これまで、【もりのいえ】の中で家庭内手工業的に作ってきたファイヤー!それをよりプロの事業として進める上で、越えるべき一線でした。
その事業を進める上で、仲間を募集することにしました。クラウドファウンディングが流行っていますが、それを自前ですることにしたのです。
おかげさまでその意思に通じてくださる方が現われ、ファイヤー工房を建設する励みとなりました。
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こうして始まったファイヤー工房作り。水道・ガス・電気といった分野は地元のプロにお任せすることにしましたが、その他の大工作業は私が自分ですることにしました。それが想像以上に大変でした。
いわば古民家リフォーム作業と同じです。寸法が揃っておらず、汚れや虫が喰った跡も数知れず。とても一言では言い表せませんが、「新築の方がよっぽど楽だった」というのが本音です。掃除に関してはウーファー達にも助けられました。ありがとう。
それでも幸いだったのが、今年は暖冬だったことです。2018-19年の製造シーズンを終えてすぐに、ファイヤー工房づくりに取り掛かることができました。
昨秋から保健所にも通い、何かと相談に乗ってもらいました。【もりのいえ】は既に菓子製造業・飲食業(弁当屋含む)・簡易宿所・露天営業の許可を得ているので、その点でとても好意的に対応してくださり、本当に助かりました。
そして昨日、保健所の検査官がやって来られました。一目みて分かるのでしょうね。「十分です。問題ありません。」とのお墨付きをいただきました。
あとは雑談をして過ごしました。私がかつてISO22000(食品の衛生管理に関する国際規格)の審査員資格を持っていたことをお伝えしたところ、より信頼を深めてくださったようです。
こうして無事立ち入り検査を終え、今はホッとしたというか、これまでの経緯を振り返り、感慨に浸っております。
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加えて、嬉しい知らせが2週間ほど前にありました。
昨年夏に申請していた商標登録が、通ったとの連絡があったのです。
商標登録について、少し解説します。
商標とは、簡単に言うと「誰が作った商品なのか?」「誰が提供しているサービスなのか?」ということを表すマークのことです。商標を付すことで、自分の商品を識別するだけでなく、その商品の出所や品質保証まで示すことが出来、更には広告宣伝の機能まで範囲は広がります。
例えば「カップヌードル」は日清食品が有する登録商標で、®︎がつきます。他社は「カップヌードル」を名乗ることはできません。そこで、他社のものも含めて、「カップ麺」と世間的には呼ばれています。
ここでファイヤー!に話題を戻しますと、ファイヤー!が私の道楽の延長で身内に楽しまれているうちは大したことはありませんが、この先もしファイヤー!がメジャーになっていったら、他社が真似をしてきた時に混乱が起きることになります。
そこで特許事務所に相談したところ、思わぬ返答をいただきました。
「ファイヤー!では商標登録を受けることは不可能です。」とのこと。
この登録商標、類似したものをグループ化して「類」が分けられています。
ファイヤー!は調味料として「第30類」に所属するのですが、その中に何と!コーヒーも含まれていたのです。
つまり、キリンビバレッジさんが取得する、缶コーヒー「ファイア(FIRE)」に抵触するというのです。
「ファイア」も「ファイヤー!」も同類とみなされ、今すでに私たちはキリンさんの領域を侵していると言うわけです。
まさか大キリンさんが、小【もりのいえ】をまともに相手にするとは思えませんが、実は昨秋、あるニュースがありました。キリンビバレッジさんと全く関係のない「キリンラーメン」さんが、キリンさんの指摘を受け、「キリマルラーメン」と名称を変更されたのです。
こんなこともあるので、私たちも手を打つことにしました。
私「『大辛ソースファイヤー!』で取得できませんか?」
特許事務所「無理です。『大辛ソース』と『ファイヤー!』に分断されて、通りません」
私「では、『まぁさんファイヤー!』はどうでしょう?」
特許事務所「それは可能性あります。申請しますか?」
私「お願いします!加えて、『大辛ファイヤー!』はどうでしょう?」
特許事務所「五分五分ですね。なんとも言えません。」
私「ダメもとで合わせてお願いします!」
という経緯で、特許事務所に申請手続きを依頼しました。それが昨年夏のことです。
それが何と!二つとも申請が通ったのです!そこで、今後はファイヤー!改め、『大辛ファイヤー!®』でいくことにしました。
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そんなこんなで、様々なドラマを経て、今回のファイヤー工房完成と、『大辛ファイヤー!®』への名称変更と、新たな道のりが拓けました。
聞くところによると、NHKの朝ドラマ『まんてん』で、インスタントラーメンが誕生した小屋が、このファイヤー工房とイメージがかぶるとか。また、その後の類似品とのやりとりなども、今回の商標登録作業と重なります。
実は私が以前勤めていた会社が、日清食品さんの「安藤百福発明記念館 大阪池田」を作ったのです。完成間も無い頃、この施設を訪問して、「チキンラーメンが誕生した研究小屋」を見た時に、大いなる刺激を受けたものです。今回のファイヤー工房もそれにかぶります。
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https://www.cupnoodles-museum.jp/ja/osaka_ikeda/
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なお、ファイヤー工房の出資につきまして、現在も受け付けております。
ピンっときた方、是非お仲間に入ってください。
出資した以上の大辛ファイヤー!と、喜びをお届けします!
また、大辛ファイヤー!のお求めは、【もりのいえ】がイベント出店の際に購入していただくか、ネットショップ「もりのいえのお届け便」にてお申し込みください。お待ちしています。
↓
http://morinoie.shop-pro.jp/
こうして新たな一歩を踏み出した、大辛ファイヤー!。
これからもご支援のほど、どうぞよろしくお願いします!
まぁさん